リクオ

リクオ&ピアノ

2010.01.20 ALBUM on SALE

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PCCA.03084 / ¥2,857(本体)+税

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インフォメーション

【CD発売ライブツアー】
1/20(水)渋谷 BYG ・ 2/13(土)大阪梅田 AKASO ・ 2/14(日)名古屋 得三
2/20(土)江ノ島 虎丸座 
*一部で誤って日程が2/21(日)と出ておりました。大変申しわけありません。
2/20(土)で間違いありません。何卒よろしくお願いいたします。

[リクオ]
京都出身。1990年のデビュー以来、ニューオリンズピアノ、R&R、ブルース、ジャズ等に影響を受けたグルーヴィーなピアノスタイルと、ソウルフルなヴォーカルでワン・アンド・オンリーの存在となる。
年間120本を越えるライブツアーで鍛えられたファンキーなライブパフォーマンスは、世代・ジャンルを越えて熱狂的な支持を集め、いつしかローリングピアノマンと呼ばれるようになる。
世代を超えて数多くのアーティストとのコラボレーション、レコーディング、ライブ参加も積極的に行い、これまでに共演したアーティストは忌野清志郎、佐野元春、ブルーハーツ、オリジナルラブ、友部正人、おおはた雄一、有山じゅんじ、真心ブラザーズ、泉谷しげる、山口洋(HEATWAVE)、ソウルフラワー・ユニオン、トータス松本&ウルフルケイスケ、梅津和時、Dr,kyOn(ボ.ガンボス)、多和田えみ、遠藤賢司、横山剣(クレイジー.ケン.バンド)、BIGIN、風味堂、佐藤竹善、小坂忠、永積タカシ等々、枚挙にいとまがない。
今回のアルバムは完全ピアノ弾き語りというスタイルで(しかも多くの曲はピアノと歌の同時録音、つまり一発録り)、リクオの「切なさ」を身上とするボーカルと変幻自在のピアノプレイをあますことなくアピール。
ライブでは、有名無名曲を問わずに、さまざまなカヴァー曲を取り上げてきたリクオだが、カヴァーセレクションのアルバムは初。‘70年代以降の邦楽曲をリクオならではのアレンジ、解釈で料理することによって、カバーアルバムでありながら、ワン・アンド・オンリーの存在感を際立たせる集大成ともいえるアルバムに仕上がった。
アルバム中唯一のセルフカヴァーである「胸が痛いよ」は忌野清志郎氏との共作。


『リクオ&ピアノ』〜リクオ セルフ・ライナーノーツ〜 (*)内はオリジナル・アーティスト
1、ホーボーへ(おおはた雄一)
作者のおおはた君は自分より一回り下の世代のホーボーミュージシャン。
ギター一本持ってどこへでも歌いに行ける彼のフットワークの軽さは、80年代以降にデビユーしたミュージシャンが失い、バブル崩壊以降の世代が再び身につけつつある強さの一つのようにも思います。今日本で最も共感できるシンガーソングライターの一人です。
「空気感」「共鳴」を大切にする彼の姿勢は、このアルバムにも共通しています。

2、魚ごっこ(BO GUMBOS)
ボ・ガンボスは、80年代後半から解散する90年代半ばまでの間、自分だけでなく多くの人にとって日本で最も重要なロックバンドの一つでした。
「魚ごっこ」はシンガーソングライター的な内省に、ロックバンドのビート、肉体性、そしてユーモアが融合された名曲です。
今回のレコーディングは通常の録音スタジオを使用せず、江ノ島の海沿いのビル7階にあるライブホールをお借りしました。そこにグランドピアノを2台並べ、江ノ島の景色を一望しながら録音を進めました。
この曲ではニューオーリンズスタイルのピアノをフィーチャーしています。

3、アフリカの月(西岡恭蔵)
この曲の作曲者であり、日本のシンガーソングライター、ホーボーミュージシャンの先駆者的存在である西岡恭蔵さんとは、自分が大学生の頃に出会いました。
時はバブル全盛。そんな時代に、恭蔵さんや、有山じゅんじさん、友部正人さん、高田渡さんといった、メジャーフィールドを離れ、草の根のネットワークを頼りに活動するホーボーミュージシャンの先達に出会えたことは、自分の大きな財産になりました。
レコデーィング中の多くは天候に恵まれ、快晴の日が続きました。この曲は、青空の下、海の上を飛び交うカモメやトビを間近で眺めながら、ゆったりとした心持ちで録音したのを覚えています。
作詞のKUROさんは恭蔵さんの奥さんでもあります。

4、サヨナラCOLOR(SUPER BUTTER DOG)
21世紀以降に生まれた日本のシンガーソングライターによる屈指の名曲だと思います。
アルバムの中で、実はこの曲のアレンジに一番時間がかかりました。
いきついた発想は、とにかく音を抜いてゆく、足し算ではなく引き算の演奏に徹するということでした。余計なアレンジを加えるのではなく、音数を減らし、歌と1音の響きを聴かせることに重点を起きました。
結果、同時録音の緊張感と響き、共鳴に満ちた旬のテイクを残すことができました。

5、スローなブギにしてくれ(南佳孝)
高校1年生の頃に、この曲をテレビで歌う南桂孝さんを見て、ピアノの弾き語りのかっこ良さを知りました。
アルコールを注入して演奏したことも影響しているのでしょう。テイクを重ねるうちに、曲のBPMが遅くなって力が抜けて行き、最終的には随分とレイドバックしたテイクが録れました。
この曲でもフィーチャーされているニューオーリンズ.テイストのピアノは、アルコールのニオイのする猥雑な街の中で育まれたピアノスタイルなのです。

6、時の過ぎゆくままに(沢田研二)
3つ上の姉がジュリーの大ファンでした。
ちなみにジュリーは京都出身の同郷で、小中高の大先輩でもあります。
この曲を初めて聴いたのは多分小学5年生の頃だったと思います。歌を聴いて子供心に、大人の男と女のやさぐれ具合に魅力を感じていました。
このテイクも深夜にアルコールの力を借りながら録音しました。お陰でピアノがいい感じで酔っぱらってくれました。

7、キャンディー(原田真二)
中学2年生の頃にテレビの歌番組を通して原田真二さんの存在を知りました。ピアノで弾き語る日本人を見たのはその時が初めてでした。
当時の原田さんの一連のヒット曲は、とても洗練されていて、洋楽に負けないかっこよさがありました。「スローなブギにしてくれ」と同様に、この楽曲の作詞者でもある松本隆さんの詞のクオイティーの高さを認識するようになったのは、曲を知ってから随分後のことでした。

8、氷の世界(井上陽水)
井上陽水という人は自分にとって、共感するというよりは、とにかく有無を言わさぬ才能を感じさせる存在です。この曲はDJがリミックスするような感覚でアレンジしました。
楽曲を一度解体して再解釈することによって、ほとんど自分のオリジナル曲のような気持ちで演奏しています。

9、機関車(小坂忠)
「機関車」は自分にとっては究極のラブソングです。聖と俗に引き裂かれた葛藤、やるせなさが凝縮された、とても危険なやばい歌だと思います。
自分が共感するラブソングにはどこか反社会的とも言える要素が含まれていることが多い気がします。そのせいか、この曲も歌詞の一部が問題になってオンエアが自粛されることが多いようです。
実際に、自分もライブでカヴァーさせてもらったときに、歌詞の一部が不適切ではないかというクレイムを受けたことがあり、考えさせられました。
表現が真実に触れるとき、誰かを傷つけてしまうことを避けることができるのだろうか?
自問自答を繰り返しながら「機関車」を歌い続けるつもりです。

10、やさしさに包まれたなら(荒井由実)
この曲の素晴らしさを再発見したのは、2年前に東京から江ノ島近くに引っ越してからのことです。海の近くに引っ越して以降、自然に触れる機会が多くなり、東京にいる頃より五感のバランスがよくなった気がします。
前述したように、今回のレコーディングは、海沿いのビルの7階から江ノ島の景色を一望できる最高のロケーションの中で行われました。つまり、この曲と同様に自然に抱かれる感覚の中でレコーディングを進めることができたのです。
昼間は自然の力を借り、夜はアルコールの力を借りてのレコーディングは、今の自分のライブスタイルそのものでもあります。

11、道草節(SOUL FLOWER UNION)
同じ関西出身、同世代でもあるソウルフラワーユニオンの中川敬による名曲。
この曲ができた当時、本人から「この曲はリクオのような年中日本各地をツアーしているホーボーミュージシャンのことをイメージして書いた」という話を聞いていました。
「道草節」というタイトルからしていいなと思います。「人生は道草」異議なし!

12、胸が痛いよ(リクオ&忌野清志郎)
このアルバムの中で唯一のセルフカヴァー、忌野清志郎さんとの曲作です。
現時点でシンガーとしての自分のベストテイクだと思います。
今回のアルバムは共演者のいない自分1人による弾き語りではあるけれど、自然の力、アルコールの力、楽曲の力、あの世の力、地元の人達のオープンマインド等々有形無形問わずさまざまなエネルギーを受け取りながら、レコーディングを進めることができました。
ライブの時に感じることのできた「響き」「共鳴」「エネルギー循環」を、やっとレコーディングにも取り入れることができた気がします。
多くの人に届いてくれたら嬉しいです。

★「胸が痛いよ」と清志郎さんのこと
自分はRCサクセション直撃世代で、楽曲作り、歌唱法、生き方に至るまで清志郎さんから多くの影響を受けた。幸運なことに自分がデビュー直後に、RCサクセションの活動を停止したばかりの清志郎さんのライブサポートをさせてもらえることになり、しばらく間近で清志郎さんと接する機会を得ることができた。
清志郎さんはやはりチャーミングな人だった。ユーモアを大切にしていて、子供みたいな悪戯が好きで、えらそぶるところがない、シャイだけれどオープンな心を持った人だった。そしてその音楽、存在感は圧倒的だった。
清志郎さんは自分ようなデビュー間もない若造とも一緒に曲作りに取り組んでくれた。そのときに生まれた共作の一つが、今回のアルバムに18年振りに再録した「胸が痛いよ」だ。
この曲は自分が学生時代に作詞作曲した楽曲を元に、清志郎さんの新たなアイデアが加わって完成に至った。具体的には、まず歌い出しのフレーズを自分が清志郎さんに持ち寄ることで、共作が始まった。
歌い出しのフレーズが生まれた時の情景は今もよく覚えている。

その日は30席ほどの小さなライブスポットで、弾き語りソロライブをやる予定だった。ところが自分は、前日からのあまりにもやるせない想いを引きずったままで、とてもライブに集中できるような心理状態ではなかった。
店入りしてからも、持て余した想いをおさめることができず、リハーサルをする気にもなれない。それで、自分はリハーサル時間の大半を放棄して、曲作りに当ててしまった。そのとき、鍵盤の前に座って自分ができることは、ただただこみ上げてくる想いを言葉とメロディーに託することだけだった。お店のマスターも自分も気持ちを汲んでくれて、何も言わずそのさまを静かに見守り続けてくれた。

「胸が痛いよ 君のこと想ってるから 胸が痛いよ 君はすぐにいなくなるから」
このフレーズにはその時の自分の「素直な想い」がよく反映されている。
リハーサル時間に一気に完成させた曲は、その夜のライブでも演奏され、しばらくは自分の重要なレパートリーとなっていたけれど、ある時期から、楽曲全体としては洗練に欠けると感じて、歌うことを控えるようになった。けれど、曲が生まれた経緯には思い入れがあったし、歌い出しのフレーズも気に入っていたから、そのうちにリメイクするつもりでいた。CDデビュー後に清志郎さんとの共作話が持ち上がったときには、すぐにこの曲の一部を持ち寄ることを思いついた。

デビュー当時の自分はまだ大阪に住んでいたのだけれど、東京にも仕事用に風呂なしのボロアパートを借りていた。偶然にもそのアパートのすぐ近くに、清志郎さんの自宅があった。
清志郎さんと東京のスタジオに一日こもって曲作りを深夜まで行った翌日の早朝、ボロパートのドアを叩く音と「リクオ起きろ!」という呼び声に気付いて目が覚めた。
ドアを明けたらそこに清志郎さんが立っていた。
「あの曲完成させたから」
そう言って清志郎さんは1本のカセットテープを自分に手渡すと、すぐにその場を立ち去って行った。テープには小声でギターを弾き語る清志郎さんの演奏が収録されていた。
元歌の持つ「素直さ」「ナイーブ」な側面を充分に尊重した上で、そこにあらたな構成を加えることによって、清志郎さんは、個人的な体験としてではなく誰もが共有することのできるラブソングとして、曲を完成に導いてくれた。その楽曲「胸が痛いよ」は清志郎さんプロデュースのもとでシングルCDとして'92年にリリースされた。

短い期間だったけれど清志郎さんと間近に接することで、清志郎さんの存在は自分の中で増々大きなものとなった。それは自分に大きな刺激と影響を与えると同時に、複雑な感情ももたらした。1ファンという立場から同じ表現者であるという意識を持った時点で、清志郎さんに対するジェラシーや、乗り越えたい、影響下から離れたいという思いも強まっていったのだ。
その結果、自分は清志郎さんの存在から距離を置くようになった。清志郎さんの新譜も熱心に聴くことがなくなった。それは自身の音楽を確立させたいともがき続ける時期の始まりでもあった。清志郎さんの影響下にある「胸が痛いよ」は長い間、自分の中で封印されることになった。

「胸が痛いよ」を歌わなくなった要因はもう一つある。
ある時期から自分の表現があまりにも「ナイーブ」過ぎると感じて、今迄の自分の表現やキャラを捨て去りたい気持ちにとらわれるようになったのだ。「ナイーブ」であることが悪いのではない。けれど、それは自分の感性の一面に過ぎず、もっと自分を含めた人間の多面性、混沌にもふれるべきだと感じるようになったのだ。
当時「胸が痛いよ」を歌う自分は、ピュアで傷つきやすい側面が全面に出過ぎていて、感情に流された表現をしていたように思う。そこにも美しさや説得力はあったのかもしれない。けれど、いつからかはっきりと「泣き濡らしている最中ではなく、涙が枯れた後の表現を目指すべきだ」と意識するようになった。
「ナイーブとの距離感」は長く自分の課題であり続けた。今もそうかもしれない。

「胸が痛いよ」を久し振りに歌うことになったのは、数年前、大阪のFM局が主催するライブイベントで、発売当時その局での月間へビィーローテーションに選ばれたことのあるこの曲を局側からリクエストされたことがきっかけだった。そのときに、局からのリクエストを受け入れて久し振りに歌う気持ちになれたのは、10数年の歳月が流れてもこの曲に思い入れを持ってくれている人がいたことが素直に嬉しく、ありがたく思ったのと、キャリアを重ねて自分の音楽表現に以前よりも自信を深めて、心に余裕ができたことが大きい。
その時には、かってとは違う心持ちで「胸が痛いよ」を歌うことができた。同じ曲でも当時とは自分の表現の仕方が随分と変わったと感じた。長い時間をかけて、やっとこの曲を対象化することができたのかもしれない。

それ以降、年に数回はステージでも「胸が痛いよ」を歌うようになった。再び歌うようになって、この楽曲の持つ力にあらためて気付かされた。
2年前に清志郎さんから受け取った年賀状には「完全復活しました」と書かれてあった。いつからか自分は、勝手に清志郎さんとの再会、共演の機会を予感するようになっていた。
今回の「胸が痛いよ」の再録は、自分にとって18年振りの清志郎さんとのコラボレーションだと勝手に思っている。

ーリクオ   2010年1月12日

シンプルだから美しい。
ローリングピアノマン、リクオがその魅力的な歌声とピアノを、もっともシンプルでピュアな弾き語りスタイルでお届けする、ハートにしみるアルバム。
リクオならではの絶妙なテイストを感じさせる名曲達のカバーと忌野清志郎との共作「胸が痛いよ」のセルフカバーまで、粋な男が紡ぐ12編の物語。
初回生産分・デジパック仕様

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